銀閣寺 |
銀閣寺〜東山文化〜 |
銀閣寺 |
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こころを癒す 京都>銀閣寺〜東山文化〜 | 山間に佇む銀閣寺![]() |
| 銀閣寺 銀閣寺は京都市左京区にあり、 東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院です。 室町幕府の八代将軍足利義政が、 三代将軍満の金閣寺にならって大文字山麓に 創建したもので、江戸時代に金閣寺に対して、 銀閣寺と呼ばれるようになりました。 |
銀閣寺 正式名称は慈照寺といいます。 金閣寺の華やかさな北山文化と対照的に、銀閣寺は東山文化の侘、さびの 世界を表現しています。 近くには、哲学者が思索に耽って散策したとされる哲学の道があり、散策 を楽しむことができます。 また、日本を代表する京都大学があるのもこのあたりです。 銀閣寺垣 境内に入るとまず目を引くのが、「銀閣寺垣」です。京都で有名な垣の一つで、 上の緑の生垣と下の石積みとが見事に調和しています。 この厳粛で、人工的な空間は喧騒の現代に生きる我々の雑念を取り払って くれます。その映像は今でも鮮明に脳裏に焼きついています。生垣には椿が 植えられており、春には赤い椿の花が彩りを添えてくれます。 銀閣寺 方丈 続いて、本堂である方丈が姿を現します。ご本尊として釈迦牟尼仏が安置 されています。 波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)と、白砂の砂盛り向月 台(こうげつだい)とのコントラストは、訪れる人々の心を引き込み、立ち去り 難い世界へと誘引します。 銀閣寺 東求堂 その先には観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存する 東求堂があります。創建時の風雅な姿をそのまま残しており、国宝に指定さ れています。 東求堂は浄土信仰の象徴であり、周囲を巡る禅宗様式の庭園から義正公の センスのよさを伺い知ることができます。東求堂の一室である同仁斎は、 現存する最古の書院造りで、初めての四畳半茶室として注目されています。 観音殿 通称・銀閣 銀閣寺の由来 境内順路の最後を飾るのが、銀閣寺の俗称を持つ二層の観音殿(銀閣・国宝) です。 長享3(1489)年に上棟しましたが、義政はその翌年になくなり、その完成を 見ることなく、この世を去りました。室町時代の楼閣庭園建築では、唯一現存 する代表的建築物として有名です。 銀閣寺の庭園 錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園です。義政と善阿弥が 指導にあたり造営されましたが、江戸時代に改修されており、創建当時の面 影はかなり失われていると言われています。 東方山麓の枯山水庭園は1931年(昭和6年)に発掘されたもので室町時 代の面影を残すとされています。 1952年に特別史跡及び、特別名称に指定されました。 秋には、あのしぶい銀閣寺のたたずまいも紅葉に彩られ、一年中でもっとも 晴れやかな景色となります。白い砂、緑の松、そして赤い楓のコントラストが 絶妙です。 銀閣寺あれこれ 1482(文久14年)に足利義政が造営した山荘・東山殿を起源とし、義政の 死後、慈照寺に改められました。 足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、 観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と言われています。 1490年(延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に 改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺です。現存する当時の建物 は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみです。1994年に「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されました。 鹿苑寺金閣が文字どおり金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔 を貼った痕跡はありません。 その説として以下の二つが考えられています。 一、銀を貼る予定だったが、幕府の財政事情のため 二、義政の隠居所として設計された観音殿には、元々銀箔を張る 計画はなかった。 銀閣寺の庭園には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くしていること や、東山文化がわびさびを重んじる文化であり、茶道趣味と禅宗文化を基調に したものであったことから、銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いと考えられ ています。 銀閣寺の案内
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銀閣寺 ![]() 銀閣寺垣 ![]() 月に映える向月台 銀閣寺庭園 ![]() 観音殿(銀閣寺) ![]() 銀閣寺庭園内の洗月泉 |