三十三間堂 |
三十三間堂〜1001体の観音様〜 |
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こころを癒す 京都>三十三間堂〜1001体の観音〜 | 三十三間堂![]() |
| 三十三間堂 三十三間堂は東山区にあり、正式名称は蓮華 王院本堂。三十三間堂は御白河法皇の命で平 清盛が創建したもので、本堂の柱の間の数が 33あることから三十三間堂と呼ばれます。 1001体の観音像があることで有名です。 |
三十三間堂 創建当時は広大な境内に五重塔なども建つ本格的な寺院でしたが、 建長元年(1249)の火災で焼失し、 文永3年(1266)に本堂のみが再建されました。現在残る堂がそれで、 700年もの歴史があります。 1001体の観音立像もある本堂は全長120メートルもあります。 端から端までをカメラに収めきるのは難しかったで、本当に長いです。 この本堂は国宝に指定されています。 三十三間堂 堂内 堂内には国宝・千手観音坐像を中心に1001体の千手観音立像が 立ち並んでいます。 檜材の寄木造りで頭上の11の顔と40本の手があります。 その光景は圧巻で、思わずため息が出てしまいます。自然と手を 合わせようという気持ちになります。 仏像の中には、会いたいと願う人の顔が必ずあるといわれています。 中央の千手観音坐像は湛慶(運慶の長男)による鎌倉期の名作です。 また、堂内には国宝の風神雷神像や同二十八部衆立像が安置 されています。すべて国宝に指定されています。 風神と雷神像は非常に力強く、かつてより、 五穀豊穣をもたらす神々として信仰されてきました。 また二十八部衆立像はインド起源のものが多く、千手観音とその 信者を守る神々です。 本堂内やこれらの像はかつては鮮やかな色で装飾されていましたが、 長年にわたるすす等の汚れによって、以前の美しさは衰えている そうです。 しかし、その美しい彫刻は、像にリアリティを与え、力強さとしなやかさ が感じられました。 堂内に入ると、改めてその長さが分かります。 最後に端からところ狭しと並べられている観音像を見渡すと、 その精巧な造りに再度、感動させられます。 三十三間堂の通し矢 三十三間堂は江戸時代に行われた通し矢の舞台としても知られ、 毎年、成人の日に行れる三十三間堂「通し矢」は有名です。 成人を迎えた女性たちの晴れ着での競技は京都の正月の 風物詩ともなっています。 三十三間堂の近くには、京都国立博物館があり、重要文化財に 指定されています。 明治半ばに建てられたフレンチ・ルネサンス様式の博物館です。 養源院 三十三間堂の東側にあり、豊臣秀吉の側室淀君が、父の浅井長政 の菩提を弔うために秀吉に頼んで文禄3年(1594)に創建したものです。 その後、焼失し、元和7年(1621)、淀君の妹である徳川秀忠夫人の 発意で伏見城の遺構として再興されました。 有名な血天井は、伏見城落城時に家康の家臣鳥居元忠らが自刀した 廊下の板間を天井板に用いたもので、死者を供養しています。 本堂の俵屋宗達作と伝わる襖絵「松図」や、白象を描いた杉戸絵、 狩野山楽作の障壁画唐獅子は重文で、必見です。 春は桜、秋は参道の紅葉が美しい。 |
![]() 三十三間堂 本堂 正面 ![]() 三十三間堂の庭園 ![]() ![]() 養源院 ![]() |