新撰組 幕末の志士 |
新撰組〜幕末の志士〜 |
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こころを癒す 京都>新撰組〜幕末の志士〜 | |
| 新撰組 幕末の志士 新撰組は時の将軍徳川家茂が、230年ぶり に上洛する際、警護として組織された浪士 組を前身とし、浪士組が江戸に戻った後も 、近藤勇らが残り、京都守護職職松平容守 配下に属して新撰組を結成しました。 |
新撰組 池田屋事件により、その存在を天下に知らしめた新撰組は、京都で活躍し、 今も、その名残を京都に残し、当時を偲ぶことができます。 多くの新撰組ファンが、この地を訪ね、新撰組の活躍に思いをはせています。 壬生寺 新撰組の近藤勇らとゆかりのある寺で、かつて新撰組の宿舎であったこと で知られています。壬生寺境内北側の壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨ら 新撰組隊士9人の墓などがあり、新撰組を慕うファンの訪れがあとをたちま せん。 三井寺の快賢僧都が991(正暦2年)年に開きました。重要文化財の地蔵 菩薩は延命、厄除けが御利益とされ、正月のみ公開されています。 また、壬生寺では、節分、春秋の年3回、重要無形文化財である壬生狂言 が催されます。古い面や衣装、無言で行われる独特の動作が趣深く、多く の観光客が集まります。 池田屋事件 江戸時代後期の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条小橋の 旅館池田屋で、新選組が、長州藩の尊皇攘夷過激派を襲撃した事件です。 長州藩は、祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ち、その 混乱に乗じて、一橋慶喜(徳川慶喜)、会津の松平容保らを暗殺し、孝明 天皇を長州へ連れ去るというものでした。 池田屋での会議が行われる事をつきとめた新撰組は、池田屋を襲撃し、 激戦の末、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げます。この池田屋事件で、御所 焼き討ち計画を未然に防ぐ事に成功した新選組の名は天下に轟きました。 池田屋跡 河原町から東に行き、三条通北側、池田ビル前に新撰組ゆかりの池田屋 跡があります。幕末の騒乱池田屋事件の起こった旅籠池田屋があったとこ ろで、今は石碑が残るだけです。 八木家住宅 八木家住宅は文化年間造営の長屋門、母屋があり、新撰組がつけた刀疵 も残るといいます。新撰組は、約3年間この八木家に住み、かの有名な池田 屋にも、この八木家から出発しました。向いの田野製袋所(旧前川家)も 屯所で、ともに非公開となっています。 |
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